池田信夫「イノベーションの経済学」第3章 経済成長と生産性

SBI大学院大学がYouTubeにアップロードした池田信夫さんのイノベーションの経済学「第1章 イノベーションとは何か」と「第2章 イノベーションの思想史」の続きです。

第3章は「経済成長と生産性」というテーマです。

ここまで受講して感じたことは、この授業は高校生の必須授業にすればいいのにということです。日本を含め1つの国がどうやって成長してくのかが分かりますし、世の中を俯瞰して見れる人が増えると感じました。

そして、この講義で言っていることを知っているのと知らないのとでは、すごく大きな差が付くとさえ感じました。

イノベーションの経済学

第3章 経済成長と生産性

第1節 新古典派成長理論

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ここからは、経済学でイノベーションをどのように扱われてきたのか?

経済学ではイノベーションは学問的にちゃんと扱われてこなかった。しかし、徐々にその重要性が分かってきた。

経済学で一番基本的な理論は新古典派経済学。新古典派経済学は、需要と供給で価格が決まるという静的な理論。

そのような経済が成長する時に何が起こるのかを論じたのが、新古典派成長理論。1950年代からロバート・ソローなどによって始められた。

需要と供給で価格が決まっていって、競争によって生産性に等しいところに価格が決まっていく。

成長率は資本蓄積で決まる:(Y=F(K))。Yは所得、Kは資本、Fは関数。

資本蓄積が大きな場合と小さな場合を比べると、ある一定の適正な規模のところに資本蓄積が収束していく。つまり、資本には適正な規模があって、経済というものはまさに需要と供給が均衡するように、ある一定の適正な規模で成長を続ける。

一番効率的な限界生産性と価格が均衡するところに、資本の成長率が収束していく。

この理論には、基本的にイノベーションはどこにもない。

どんな資本でも、資本が蓄積していけば成長していく。その資本には一定の適正な規模がある。なぜなら、資本は最初は資本収益率が高いが、だんだんと資本収益率が下がってくる。資本収益率が下がってピークアウトしたところで適正な資本能率が決まる。それよりも資本が過剰に蓄積すると逆に生産性が落ちるので、適正なところに戻ってしまう。資本の適正な規模が決まったら経済の規模が決まり、成長率も決まる。

この新古典派成長理論には大きな欠陥がある。

経済の成長率が資本蓄積だけで決まるとすれば、どんな国でも、たとえばアフガニスタンやジンバブエのような発展途上国でも資本さえ蓄積すれば成長できるのか?明らかにそいういったことは起こっていない。

資本とは工場や生産設備。

では、労働が多ければ成長率が高くなるのか?日本の13倍の人口がいる中国のGDPは日本よりも低い。

つまり、資本や労働がただ多いというだけでは、経済の規模や成長率は必ずしも説明できない。

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新古典派成長理論は、成長するにつれて資本収益率が下がってピークアウトするので、徐々に経済は停滞するはず。

収穫逓減の法則
(例)世の中にまだボールペンがない時代に、最初にボールペンを作る工場を作って販売したら、そのボールペンは高い値段で売れて儲かる。しかし、いっぺんボールペンというものが世の中に出回って、2つ目の工場を作ったら、そのボールペンは最初と同じ値段では売れないから、値段が下がる。つまり、工場を新しく作っていけばいくほど、新しい工場の生産性はどんどん下がっていく。成長率は鈍化していく。

限界効用の逓減
生ビールは最初の1杯はすごくうまいが、2杯目、3杯目といくにつれ、うまくなくなる。同じように、資本の収益率も最初に投資した時は収益性が高いが、だんだんと収益率が下がっていく。

だとすると、先進国の成長率はどんどん下がっていくだろう。この考え方はマルクスと同じ。マルクス以来、経済学者は資本主義っていずれ行き詰まると考えていた。資本を蓄積していけばいくほど、その資本の効率がどんどん落ちていくから。

適正な資本の率はすべての国で同じになるはずだ。資本とか労働が各国を自由に移動することが可能だとすれば、アメリカで資本の構成が過剰になったとすると、アメリカから日本や中国やインドに資本を輸出して、資本の少ない中国やインドで資本を蓄積したら、最初は非常に高いスピードで成長が起こる。しかし、中国もインドもいずれは先進国のようにスピードが落ちてきてピークアウトして、最終的にはアメリカもヨーロッパも日本も中国もインドも同じようなところへ収束するはずだ。つまり、各国の成長率は均衡化するはずだ。

このような考え方は、新古典派経済学だけではなく、一時期は経済学全体でほとんどの経済学者はこのように考えていた。今でもこう考えている人は多い。

長期停滞論
たとえば、今の日本経済も長期停滞がずーと続いているが、これは宿命的なもので、日本のように豊かになってしまったら、これ以上新しいものは出てこない。この程度のレベルで皆がお互いに今あるものを分け合って暮らしていくのが一番よいと考えている人もいる。これはこれで、必ずしも否定できない。

つまり、資本主義には必ず長期停滞というパラドックス(逆説・矛盾)が起こりうる。

しかし、実際には、何が起きているかというと、アメリカの場合には1980年代に成長率が鈍化して、アメリカの製造業はみなダメになったが、1990年代後半からITバブルの頃にかけては、マイクロソフトやインテルやグーグルといったインターネット企業がどんどん出てきた。

1980年代にはアメリカ経済は行くところまで行ってしまって、もうアメリカは終わったんだ。次は日本の時代だと言われていた。

ところが、90年代から逆にアメリカが伸びて、日本が長期停滞に入ってしまった。

つまり、単純に資本蓄積で成長率が決まるといった新古典派成長理論では、現実に起きている経済をほとんど説明できない。

このことは1960年頃ぐらいまでに、ロバート・ソロー自身が実証研究で言っていた。

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新古典派成長理論で言うと、成長率が高い国と低い国で資本蓄積のスピードを比べてみると、資本蓄積が2倍になっていれば成長率が2倍になるという単純な比例した関係が見られるはずなのに、たとえば、日本とアフガニスタンを比べてみると、日本とアフガニスタンで同じように資本蓄積して、同じように成長が起こるとは誰でも考えない。

つまり、資本の蓄積というだけでは経済成長は説明できない。

たとえば、アフガニスタンのような国が戦争状態にある国に、工場を作っても生産できない。

経済成長において一番重要な要因は、実は、資本とか労働というような物的な生産要素ではないのではないか?

1960年頃にロバート・ソローの弟子たちが、各国の経済成長と資本蓄積と労働人口成長率を比べてみた。

すると、成長率の違いは資本蓄積によって半分も説明できない。へたをすると20%くらいしか説明できない。成長理論と呼んでいいのかというくらい、非常にショッキングな結果となった。

つまり、新古典派成長理論とは、資本蓄積と労働人口でほぼ100%成長率を説明できるという想定だったのに、実際のデータで見ると2〜3割しか説明できなかった。

このことは非常に大きな謎として問題になった。「solowのパラドックス」と言われる有名なパラドックス。未だに解かれていない。

成長理論って役に立たないじゃんということで、成長理論は1960年代に一旦ぽしゃっちゃった。

ここで確認しておくべきことは、経済の規模とか経済成長を決める要因のうち、資本とか労働と言うような、いわゆる物的な市場メカニズムの中に見えている要素というのは、必ずしも決定的な要素ではないということ。

もしも、全く同じ自動車工場を日本とアフガニスタンで作ったとして、その工場が同じ効率で自動車を作れるとは誰も思わない。この違いって何なんだ?

1つ明らかなのは、労働者の質の違い。その国の教育水準。

もしかすると、最大の要因は、資本とか労働といったリアルな要因ではない、目に見えない要因ではないだろうか?とロバート・ソロー自身が1960年代に言っている。

これを日本語では「残差」と言っている。でもこの言葉はあまり説明になっていない。。ソローの理論では経済成長の3割くらいを説明できるけど、残りの7割はその残りだと言っているだけ。それは一体何?今に至るまでちゃんとした答えは出ていない。最近は「全要素生産性(Total Factor Productivity / TFP)」と読んでいる。これも、なんのことだかよく分からない。

しかし、最近になって、残りの半分〜7割がイノベーションではないのかと多くの人が言い始めている。それはまさに目に見えないもの。

経済の中で一番重要な要因は、意外なことに経済的な要因ではなくて、その国が平和だとか、優秀な労働者がいるとか、皆がちゃんと言われたとおりの仕事をするとか、決まった時間に出勤してくるとか、日本人からしたら当たり前の目に見えないものが、経済学では「全要素生産性」という最もらしい言葉になっているのだが、イノベーションに相当する新しいものを作り出していくという力なのではないか?ということがネガティブに分かったのが1970年ぐらいまでの経済学、特に成長理論の分野だった。

第2節 内的成長理論

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ここからは現代の経済学でイノベーションがどう扱われているのか。

新古典派的な成長理論では、経済成長のエンジンが何なのか今ひとつよく分からなかった。

もちろん、資本蓄積するとか労働人口が増えるとか、今の中国やインドのように農村から都市に人口が集中してくるということは、成長の大きなエンジンであることは間違いない。

発展途上国が経済成長する時には、ある時期まで必ずそういうことが起こる。今のインド・中国はまさにそうだし、ある時期までの東南アジアもそうだったと言われている。

東南アジアでは、人口が都市に集中するのは一定の限界があるので、そこで成長が止まってしまうことがある。今の東南アジアはかなりそれに近い状態。たとえば、インドネシア、マレーシア、フィリピンなど。一時期、「東アジアの奇跡」とまで言われたが、今は経済停滞している。

なぜかというと、ある時期までは農村から都市に人口が集中してくるから、労働者が増えたらモノがたくさんできるのは当たり前のこと。しかし、昔ながらの設備で生産している限りは、一定のピークに達したらあとはピークアウトしてしまう。

単なる資本蓄積とか単なる人口成長というものでは、経済成長は説明できない。それを超えるイノベーション、もっと言うと、知識・技術・教育という要因が実は大きい。

日本がここまでアジアの国の中の唯一大きな経済大国になったのは、人口が多いということもあるが、日本人の教育水準や知的水準が高かったことが大きい。

このようなことを経済学が、遅まきながら1980年代に少しずつ説明できるようになった。これを「内生的成長理論」あるいは「新しい成長理論」と呼ばれる。

「内生的成長理論」で想定している生産関数は「Y=AK」。Yは所得、Kは資本、Aは定数。AKモデル。

Aという定数をかければ成長率はでてくる。一次関数。

「新古典派成長理論」では、最初は成長するけどピークアウトする。一方、「内生的成長理論」は定数なので、ずーと定数に比例して成長する。いつまでたっても、成長率が鈍化しない。

なぜなら、たとえば、トヨタが工場が作ったら、トヨタが作った色々な技術や知識や教育やそこで技能を学んだ労働者が、日産やホンダに移動したり、社会に動いて技術が移転されるといった外部性が出てくるから。

1つの工場ができたということは、物理的に1つの工場ができたということではなくて、そこで知識の外部性(A)が周りに広がっていく。それによって、収穫は逓減しない。

逆に言うと、A(知識の外部性)が大きいか小さいかということが、経済の規模を決めていく。Y(所得)はK(資本)のA倍。

Aというのは、教育・訓練・知識・社会の中で決められた時間を守るといった社会のルールなど。

工場や人々の労働というものが、知識として社会全体に広がっていくという効果が成長率を決めていく中で非常に重要だということが、実証データでかなり明らかになってきた。

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技術とか教育とか訓練などは、どういうインセンティブ(人の意欲を引き出すために外部から与える刺激)で蓄積されるのか?

教育は社会的に公的な機関(学校)で教えられるが、新製品を開発するというインセンティブはどうやって生まれるのか?特許をとって利潤を得たり、もっと本質的なことは、経済学では「製品差別化」と言うが、新しいものを常に作り出していく。

普通のボールペンが100円で売っていたら、その横に消しゴムで消せるボールペンが200円で売っていた。このように、今までのボールペンにはない特徴を売り物にする。これを「製品差別化」と言う。

新しい特徴を売り物にすれば、今までと違う付加価値がついて、今まで100円だったボールペンが200円で売れたりする。

今までと同じ100円のボールペンをずーと作り続ければ、100円のボールペンを作る会社はいくらでも出てくるのだから、どんどん利潤は下がる。

そうではなく、別の機能を持っているボールペンを新たに発明をしないと、その企業は生き残っていくことができない。常に新しいものを作っていかなくてはならない。

このような製品差別化が、経済成長のエンジンとなっていると「内生的成長理論」で言われ始めたこと。

資本主義は立ち止まったらおしまい。自転車と同じように、常にこぎ続けていかないと倒れてしまう。イノベーションの本質。

このようなことが意識され始めたのは比較的最近。

日本は戦後、焼け跡となって何も持ってなく貧しかった。「メシが食える」ということだけでも大変なことだった。メシが食えるようになったら、それなりのものを着て、家が建って、冷蔵庫や洗濯機やテレビなどの電気製品を買う。

このような生活をしている時代には、イノベーションというものはそれほど重要ではなくて、生活に必要なものはある程度決まっている。

70年代ぐらいまでの人々の必需品を生産するような資本主義では、イノベーションの意味はそれほど大きくなかった。

今の中国やインドもこの状況に似ている。

中国やインドは、なぜ成長率が高いかというと、何をつくればいいのか決まっているから。たとえば、ユニクロがデザインから何から決めて、中国の工場に作らせるので、中国の工場の人は何を作ればよいのか分かっている。こういう状況では、イノベーションはたいして意味を持たない。

80年代以降、巨大企業が没落して、コンピューター産業では新しいベンチャーが出てきた。

コンピューターは必需品ではない。コンピューターがなくても食うには困らない。情報産業は基本的に必需品を作っていない。人々が情報機器を使ってやる仕事は食うためにする仕事ではない。コンピューターそのものは道具にすぎない。必ずしも生活に必要なものではない。

コンピューターとかインターネットなどのネットワークの世界というものは、「これが絶対に必要だ」「絶対にこれでなきゃいけない」というものがない。

その代わり、新しいものが出てきたら、皆がそれにパッと飛びつくということが起こる。

インターネットはイリノイ大学のマーク・アンドリーセンという大学生が最初に作った「NCSA Mosaic」から始まったが、そんなちょっとしたフリーソフトウェアを世界中の人が何千万人も使い始める。

人々に予想のつかないことが日常的に起こるようになる。なぜなら、必需品じゃないから。

必需品ではない世界では、何が一番重要かというと、人々のイマジネーション。

自分はこんなものが欲しい、こんなものをやってみたいと思うことが大事。

そして、それは画期的なものであればあるほど、現実に存在していないことが多い。

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シュンペーターの「創造的破壊」。既存の市場の中での競争ではなく、新商品・新技術・新組織による市場の創造。

ウォークマンは創造的破壊の典型。

再生しかできないテープレコーダー。当時のソニーの現場の技術者でも、商品になるとはとても思えなかった。

でも、録音機能を省くと小さくなる。外でも音楽が聴けることが画期的だった。

外で音楽を聴きたい人が世の中にいるということは誰も想像つかなかったけど、盛田昭夫さんは音楽好きで「私は外でも音楽を聴きたい。俺のためでもいいから作れ」と言って無理矢理作らせた。それが、誰も予想しなかった大ヒットとなった。

つまり、今あるものの中から良くしていくというだけではなく、今は全くないけど、もしかしたらこういうものを作ったら大ヒットするかもしれないというものが、実は一番大事。

だから、iPodはあまりオリジナリティがない。ウォークマンのハードディスク版。

現代のイノベーションというのは、今まで存在していなかった人々の頭の中だけにあったもので、既存の市場を壊す、新しく市場を創造するといったこと。

ビジネスモデルや収益モデルを新たに作り出すということが、ブレイクスルー(突破)になる。

つまり、日本人が得意としてきたコツコツいいものを作るというタイプと違うタイプのイノベーションが必要とされている。

これは非常に大きな違い。そして、日本の大企業は非常に苦手としている。

メインフレームがパーソナルコンピューターになったとか。

かつてはマイクロソフトがソフトウェアをパッケージで販売していたが、今はグーグルのサイトにいけばマイクロソフトオフィスと同じ機能のソフトウェアが無料で使える。では、グーグルは何で儲けているかというと、世界中から毎日何億人という人がアクセスすることによって、広告で儲けている。1年で1兆円以上の売上。

そんなビジネスモデルがあったとは、誰も想像していなかった。検索連動型広告が1兆円を超えるようなビジネスになるとは、グーグルのエリック・シュミットさえ想像しなかった。

今起こっているイノベーションとは、誰にも想像つかないところから起きる、誰にも想像つかないものほど大きな収益をもたらす。

かつての、20〜30年前までの日本企業が得意としていたイノベーションとは対照的なイノベーションが起こっている。

その性格の違いを理解しないと、いつまでたっても日本企業は世界のマーケットの中で負け続ける可能性がある。

第3節 日本経済の行き詰まり

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日本経済は1980年代までは非常に上手くいっていて、世界の脅威と言われた時代もあった。

日本製の自動車や家電製品が世界中に輸出されて、日本に大きな貿易黒字をもたらす一方、海外では会社がどんどんつぶれていく。貿易摩擦。

日本はOECD加盟国の中では1993年に「1人当たりのGDPランク」で世界一位になったことがあるが、それ以降は「1人当たりのGDPランク」は右肩下がりに落ちており、OECD加盟国の中では2006年は18位、2008年は20位。

日本のGDPは2000年代になっても絶対的には名目成長率で1%ぐらいは増えているが、他国と比べて相対的に見ると、日本の所得は落ちている、貧しくなっている。

日本は格差が開いているとか格差社会だと言う人がいるが、根本的な問題は格差ではなく、日本経済全体が相対的に貧しくなっている。

他の国が普通に成長しているのに、日本だけがほとんど成長していない。成長率を基準にする限り、日本は1990年頃に比べて相対的には皆、貧しくなっている。

そして、貧しくなっているしわ寄せが、派遣労働者や非正規労働者やフリーターやニートにいっている。

経済学では格差を計る「ジニ係数」というもの差しがある。

経済学の実証的な数字の格差で見ると、日本はOECD加盟国の中では格差は平均くらいで高い方ではない、極端に開いているわけではない。

問題は日本全体が経済的に行き詰まっていること。問題は成長率。

日本人全体が経済の行き詰まりの被害を受けている。年収の伸びは明らかに鈍っている。かつて1980年代頃は、毎年、ベースアップが1割といったすごい率で賃金が上がっていた。今はベースアップなんてない。

正社員でさえ、賃金は上がっていない。まして、派遣や非正規労働者は賃金が上がるわけがない。なぜなら、企業の稼ぎが増えてないから。

格差を縮めると言うが、縮める原資はどこから出てくるのか?

経済の大きさが一定だったら、恵まれてない人に補助金などを出そうと思ったら、どっかから持ってこなくてはならない。

持ってくるお金は、豊かな人から税金で取るしかない、増税するしかない。すると、大騒ぎになる。

つまり、経済の規模が大きくならない限り、基本的には格差を縮めることもできない。

格差が大きいということは現象的には問題だが、そのお金はどこから持ってくるのか?

他国と比較して相対的に見ると、日本経済はどんどんランクが落ちている。

「もはや日本経済は一流ではない」

そのことが日本経済にとっての問題。

成長率が鈍化して、日本経済(会社、ビジネスも含む)が行き詰まってしまっている原因を考え直さない限り、格差を是正することはできない。

経済全体のパイが大きくならない限り、格差是正はできない。

※OECD加盟国は2007年5月現在で、30カ国。
Wikipedia: 経済協力開発機構より
◎発足当初の原加盟国(アルファベット順)
オーストリア
ベルギー
カナダ
デンマーク
フランス
ドイツ
ギリシャ
アイスランド
アイルランド
イタリア
ルクセンブルグ
オランダ
ノルウェー
ポルトガル
スペイン
スウェーデン
スイス
トルコ
イギリス
アメリカ合衆国

◎その後の加盟国(加盟年順)
日本(1964年4月28日)
フィンランド(1969年1月28日)
オーストラリア(1971年6月7日)
ニュージーランド(1973年5月29日)
メキシコ(1994年5月18日)
チェコ(1995年12月21日)
ハンガリー(1996年5月7日)
ポーランド(1996年11月22日)
韓国(1996年12月12日)
スロバキア(2000年12月14日)

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ビジネスにしても経済にしても、いかに成長率を上げる仕組みをどうやって作っていくかが、この授業の一番大事なポイント。

資本を蓄積するとか、既存のビジネスモデルの中で細かい改良を重ねていくことだけでは十分ではない。

必要ないというわけではないが、日本人が得意としている緻密な品質管理によって既存のものを良くしていく、たとえば、少しでも早い自動車を作るとか少しでも小さな半導体を作るという努力は重要だが、そのような改良的なイノベーションは台湾や韓国や中国でもできるようになってしまっている。

狭い意味での製造業の世界では、日本はどんどん追い上げられてきている。

つまり、改良・改善型の日本のイノベーションは限界がきている。

成長のエンジンはイノベーションであって、そのイノベーションは情報通信革命の世界では少なくとも、なるべく突飛なイノベーションの方がいい。

日本経済に必要なのは、Appleのスティーブ・ジョブズやGoogleの創業者2人のような人。

トヨタ、ソニー、松下といった既存の企業は、率直に言ってカーブのピークアウトしたところに来ちゃっている。これから、2倍、3倍と伸びるということはない。

ビジネスにしても日本経済にしても、もう一度成長率を上げようとするなら、新たに立ち上がるようなビジネスが出てこなければならない。

ベンチャー企業のような、全く新しいイノベーションが出てこなければならない。

日本の最近の開業率は3%あるかないかという状態。廃業率は5%ぐらいある。開業より廃業の方が多いのがここ10年。

1960年代の日本の開業率は40%ぐらい。廃業率も30%と高かった。毎年4割くらい新しい企業が生まれて、3割くらい潰れていった。日本経済が若かったので活力があった時代。日本経済の高度成長のエンジンってなんだったのかというと、実はそれだった。

ソニーやホンダといった戦前には影も形もなかった企業がどんどん生まれたことが、戦後の日本を支えた。

しかし、そのような企業も大きくなれば、ピークアウトする。それは宿命。

必要なことは、ピークアウトする会社だけではなく、新たに起こる会社、ゼロからスタートする会社が出てくるような仕組みを作ること。

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グーグルが融資を受けていたのは「セコイア」と「クライナーパーキンス」というシリコンバレーの有名なベンチャーキャピタル。

「クライナーパーキンス」は売上ゼロという会社をたくさん持っている。ある種の博打。10のうち1つでも当たればよい。

何もないところから新しいものが生まれる時は、最初の3年くらい赤字だったり売上がないということは、ざらにある。

ところが、日本の金融のシステムではそうはいかない。

日本の戦後のシステムは、大きい企業に銀行が長期のお金を貸して、その企業はかなり確実に売れるモノ(自動車・洗濯機・冷蔵庫)を作っている。

確実に売れるものを大きな規模の企業が作る。その企業に対する資金の供給は、確実に年に5〜10%の金利を払ってくれる企業に銀行はお金を貸す。こういったシステムで日本の企業は成り立ってきた。

このシステムは、80年代ぐらいまでは上手くいっていたが、90年代以降、イノベーションの性格が変わってきて、今までの製造型のビジネスはピークアウトしてきて、日本の成長率は上がらない。

日本経済全体が伸びるためには、新しい会社が出てこなければならない。

新しい会社が出てくるためのシステムは何なのかというと、残念なことに、ファイナンスの仕組みも含め、日本の企業システム全体が新しい会社が出てくるのに向いていない。

系列構造。トヨタが2万点の部品を作るとしたら、色々な会社に発注して、その発注した会社がさらな孫会社に発注を出していく。このようにして、トヨタ城下町と言われるような膨大な何千社の下請け企業群が集まっている。そこで、全体としてトヨタの車という完成品を作っていく。このような製造業に適応したシステムが日本にはできている。

トヨタはそれで上手くいっているが、トヨタ以外は見るべきものがないくらい日本の経済はおかしくなっている。

トヨタのような自動車のような部品は20世紀型のイノベーションでうまくいく。

ところが、21世紀に1番付加価値を生んでいるグーグルのようなイノベーションは企業城下町では生まれない。

今まで日本人が知っているコツコツと築き上げていくようなイノベーションではなくて、YouTube(サンノゼのピザ屋の2階で開業)のように一発当たったら億万長者になるというような、今までと全く違うタイプのイノベーションが必要になってきている。

「そういうイノベーションを起こすには何が必要なのだろうか」というのがこの講義のテーマ。

「第4章 起業家精神」に続く

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