巨人軍・木村拓也、亡くなる前の新人研修での講義内容

今年4月7月にクモ膜下出血により、37歳という若さで亡くなってしまった巨人軍の木村 拓也さん。

友人から「木村 拓也が3月4日に行った新人研修で話した内容が良い」と聞いたので、遅まきながら読んでみました。

NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容

たしかに、すごく良い内容です。

あまりの反響で、この新人研修はDVDとしても販売されています。

ありがとう木村拓也 ~最後のメッセージ~ [DVD]
ありがとう木村拓也 ~最後のメッセージ~ [DVD]

個人的にグッときた言葉を取り上げてみたいと思います。

1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。

高校時代、宮崎県ではナンバーワンの結果を出したのに、プロではドラフトで指名されなかったんですね。

世界は広いですからね。上には上がいます。

でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。

プロの世界は別世界だったわけですね。

基本的に、高校時代に触れることができる世界って、それほど広くないですからね。

海外とか見ていれば別ですが。

その後、木村 拓也さんは1軍には登録されず、新聞には任意引退選手として名前が掲載され、まったく試合に出られなかったそうです。

「何しにプロ野球に入ったんだろう」と思ったそうです。

そして、2年目。

2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。

木村 拓也さんは高校時代は4番で捕手です。

しかし、プロの世界では外野からのスタートです。そして、2年目は3本ヒットを打ちました。

3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。

3年目もいまいちだったんですね〜。

でも、そんな木村 拓也さんに運命的な出会いが。

3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインターリーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。

イチローは朝早く起きて筋トレです。さすがですね。

そして、4年目の木村 拓也さんは広島に移籍になりました。

移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。

勝ちやすいところで勝負しようとしたようですね。

移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。

この考え方がすごいですよね。

左投手の時には他の選手に代えられてしまうので、代えられないようにスイッチヒッターになろうと考えるところが。

まぁ、考える人は他にもいるかもしれませんが、それを実際に実践してしまうところがすごいと思います。

2倍以上の努力が必要になりますからね。

プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。

まさに、大器晩成ですね。

というか、10年間あきらめなかったことが素敵です。

今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。

「壁にぶつかった時に少し言葉で考える」と解決策が見つかるということのようです。

言葉にすると、客観視できますからね。

自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。

結局、環境に応じて変化できないとダメなんでしょうね。

変化できないと、恐竜と同じ運命を辿ってしまう。。

「俺はこうだから」と決めつけるのではなく、「こういう俺もありかな」くらいがちょうど良いのかもしません。

そんな風に思いました。

一生懸命―木村拓也 決してあなたを忘れない
一生懸命―木村拓也 決してあなたを忘れない